篇一:鸭の喜剧
鴨の喜劇
魯迅
井上紅梅訳
げんきんペキン ロシヤの盲目詩人エロシンコ君が、彼の六絃琴を携えて北京に来てか
ら余り久しいことでもなかった。彼はわたしに苦痛を訴え 「淋しいな、淋しいな、沙漠の上にある淋しさにも似て」
いま これは全く真実の感じだ。しかしわたしは未だかつて感得したことが無
しらんい。わたしは長くここに住んでいるから「芝蘭の室に入れば久しうしてその
香を聞かず」ただ非常に騒々しく思う。しかしわたしのいわゆる騒々しさは、彼のいわゆる淋しさかもしれない。
わたしは北京にいると、春と秋がないように感じるが、長く北京にいる人の
せん話では、ここでは先にはこんなに暖かいことがなかった。地気が北転しているのだという。しかしわたしにはどうしても春と秋が無いように思われる。冬の末と夏の初めが受け継ぎ受け渡され、夏が去ったかと思うとすぐに冬が始まる。
ある日、すなわちこの冬の末、